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沖縄文化論 -忘れられた日本-

評価:
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JUGEMテーマ:ノンフィクション
学者・岡本太郎
「芸術は爆発だ」で知られる、現代芸術家の岡本太郎が1961年に書いた「沖縄文化論」の新版。先の発言もありイロモノ扱いされることも度々な人物だが、パリ大学で文化人類学を学んだ経歴からも分かる通り、非常にインテリな一面も備えている。大阪に残る「太陽の塔」に掘られている顔もそういった人類学的・民族的な見地から作り出されたイメージを基にしている。この「沖縄文化論」は1972年の本土復帰前、ドル時代の沖縄の文化を取材した内容だ。
この本における岡本太郎の目線は、自らも述懐している通り画家・ゴーギャンがタヒチに見出そうとしたものと似ている。それは沖縄の人々の暮らしや文化から長い時間をかけその土地で肥やされてきた生のあり様を尊ぶ目線だ。それは単なる沖縄の文化の美しさを語るものではないと彼は冒頭で語っている。

美しいものではあっても、美しいと言わない、そう表現してはならないところにこの文化の本質がある。生活そのものとして、その流れる場の瞬間瞬間にしかないもの。そして美的価値だとか、凝視される対象になったとたん、その実態を喪失してしまうような、そこに私のつきとめたい生命の感動を見とるのだ。

この本を通して、岡本太郎が語っていることは上記のことと一貫して変わらない。彼は、いかに洗練された沖縄文化の結晶であろうと気にいらないものは気にいらないと言うし(むしろ彼は洗練されたものが嫌いな傾向がある)、そこが岡本太郎らしさだと言える。ましてや、彼はこの本の中で(当時の評論で良くあったような)戦争時代の沖縄に対する批判などは行っていない。彼がここで書いているのは元来の沖縄人「うちなーんちゅ」の文化の空虚的な美しさであり、抑圧されてきたぎりぎりの生活を謳った生命の輝きの結晶である。それを踏まえた上で語られる本土復帰論は、いかに文化の尊厳を保つことが重要かということを中心として語られている。
 あと、個人的にはお風呂の文化論が面白かった。日本人も沖縄人も毎日の終わりに湯船につかるという行為をする。それは禊の思想と同じで、風呂上りの「ああ生き返った気分だ」という言葉が示す通り、我々は知らず知らずの内に毎日ケガレを洗い流す思想行為をしている。その点、原罪思想の西洋人には湯船がないよなァ、という話。
 

at 02:56, 名無し, 評論

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東電OL殺人事件

JUGEMテーマ:ノンフィクション
現代の堕落論
 前に紹介した「東電OL症候群」の前編であり、第一作目。佐野眞一が書き起こしたこのルポルタージュは、被疑者の女性に対する凄烈な好奇心と当時の被告ゴビンダ氏に行った警察の捜査に対する疑念を支柱として構成されている。作者独特の自らの内面の心象と照らし合わせるような文章の描き方は事実をありのままに書いているとは言い難いが、自らの眼に映った真実を顕示するという点ではルポルタージュとして非常に面白いところだ。
 あらかじめ言っておくと、この事件は1997年に東電に務めていた女性が、渋谷区円山町の喜寿壮というアパートで何者かに殺害された事件だ。未だに未解決事件の一つとして残るこの事件は、被害者の女性がエリート街道を走ってきた人物でありながら、娼婦に身をやつし夜な夜な円山町の繁華街で売春を行っていたことが分かり、当時一大スキャンダルになった。
 筆者はこの事件を坂口安吾の堕落論に重ね、彼女と社会全体に潜む闇を描こうとした。

戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。(坂口安吾・堕落論)

 作者はこの戦後から続く堕落の道を、この1997年という世紀末まで繋がる道として登場させた。この事件は、この堕落の道を性欲という形で堕ちていった女の生が深く絡んでいると見た。清々しいまでに堕落していった女性の人生を見つめることで、戦後のイデオロギーを失った時代に、優秀な女性が身体を売ってまで手に入れたかったものは何かというものを探究していく。それがこの本の背骨の一つになっている。
 もう一つの背骨(非常に長く、骨子が二つ存在する本なのだ)はゴビンダ・マイナリ氏(昨年冤罪・釈放済み)に関わることだ。作者はネパールまで赴き、警察の不当な捜査、ゴビンダ氏の無罪性を主張しようと様々に取材する。田舎だが夢に溢れるネパールの状景はまた、渋谷区円山町の後ろめたい繁華街(ダムに沈んだ村人たちのビルだ)と対比される。
 結局のところ真実が暴かれることはないが、綿密な取材振りが窺え、その深さは読んでいて勉強になる。大分前の事件であることは間違えないが、この事件の泥濘質な閉鎖性はまた現代まで続いている様に思える。
 

at 00:44, 名無し, ルポ

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銀河ヒッチハイクガイド

JUGEMテーマ:小説全般
愛すべきSFコメディー
ダグラス・アダムスが書いた、SFコメディー小説。映画化もされた作品。ちょうど良い長さにまとまったストーリーはSF好きにもSF初心者にも楽しめる内容だ。小難しくなく、何も考えなくても読める様な本を読みたい方にぜひ。SFをある程度知っていれば楽しめる部分は多いが、まったく知らずとも笑いのテンポが非常に良いので楽しめると思う。
舞台はまず地球のロンドンから始まる。アーサー・テンドという男の住まいは、バイパス建設のために行政によって取り壊されようとしていた。アーサーはそれをどうにか中止させるために、毎度ブルドーザーの前で寝転び、工事の邪魔をしていた。そんな日課をこなしていたある日、フォードという友人が家に来て、工事のやつらは自分がなんとか言いくるめて解体させないようにしておくから一緒にバーに行こうと誘ってくる。それならば、とアーサーはフォードと一緒にバー(何ともイギリスらしい)に行く。
しかし、実はこのフォードという男は宇宙人であった。「銀河ヒッチハイクガイド」の改訂版の執筆のため地球に来ていた彼は、自分の惑星に帰れなくなってしまい15年近くも地球に留まっていた。彼がアーサーをバーに誘ったのは、(何と)地球がまもなく滅亡することを知っていたからであった(ちなみに工事の人を言いくるめていたとは全くのウソ)。フォードの「冗談」につきわされ、自分の家がバリバリと壊されてしまったアーサーはひどく憤慨する。この時、彼の上空には大量の巨大な宇宙船が飛来していた。
この後、宇宙船団は宇宙用のワープ通路建設のために地球を破壊すると宣言し(地球の行政の様に)、レーザー砲で言葉通り跡形もなく消滅させてしまう。ただ一人、助かったのはフォードともに宇宙船にヒッチハイクしたアーサーだけであった…。この銀河ヒッチハイクガイドはこのフォードとアーサーの二人を中心に、ハチャメチャな宇宙世界で冒険喜劇のストーリーの軌跡を描く。プロットが実に洗練されていて、旅が進むに連れ浮かび上がる真実の数々に驚かさる。物語的面白さもばっちりある作品だ。



 

at 23:46, 名無し, SF

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いまだ知られざる寺山修司展


JUGEMテーマ:美術鑑賞
寺山修司の黎明
昨年の11月26日から開催されている「いまだ知られざる寺山修司展」に行ってまいりました。開催場所は寺山修司の母校でもある早稲田大学。無料で中々見応えのある資料の数々を見る事ができたので、かなりお得感のある美術展でした。

昨年から今年にかけて、寺山修司没後30周年ということで、各所で様々なイベント・展覧会が行われきたが、この展覧会は特に寺山修司が世に出始めた学生時代に焦点を当てたものだった。昨年の春ごろニュースでも取り上げられたが、早稲田演劇博物館に寄贈された彼の学生時代の自作ノート等、未発表資料をメインとして作られた展覧会だったのが印象に残った。そのため、寺山修司をやはりある程度知っている人の方が楽しめる内容だったのではないかなと思う(展覧会タイトルからも推し量る通り…)。
その初公開された資料の数々を鑑賞しての感想なのだが、極論を言えば、「これは中々恥ずかしい…」という一言だ。公開された資料は母親への手紙や彼の学生時代の誌の自作ノートで、実に寺山修司らしい悪霊的かつハイカラな文章や創作作品がそこにあった。ただ、普通の大学ノートにボールペンで書かれている完成形とは言い難い詩が昂然とガラスケースに収められている状景は、突拍子もなく書いた拙い日記か、卒業文集か、クラス中に配った漫画やなんかか、大人になって改めてみてしまえば羞恥の塊とも言えるものを目撃してしまった様なそんな気分に駆られる。「待って、そんなもの引っ張りださなくても」と私だったら赤面してしまうようなものが(いくつか)展示されていた。
ただ彼のすごいところは、そこで赤面して立ち止まらずに、不断の創作と社会との関わりの中で、感性とそこから産みだされる作品をぶれずに研磨していったところだ。彼が社会に発信し続けたものは、その創作ノート時代からほとんど変わらず、彼の中の見世物小屋的なもの(エギゾチックかつハイカラ、枠外かつ土着、表面かつ深奥、大衆かつ前衛)であり、彼はそれを短歌に始まり、演劇、映画にいたるまで優れた作品として昇華してきた。そのためこの企画展はその彼が、比較的若いころから「芸術家・寺山修司」としての核を持っていたことを認識できるものとして非常に面白いものだろう。
ところで、「人間・寺山修司」を見付けるのは非常に難しいと思う。この展示では奇天烈な質問の飛ぶインタビュー映像が流されていたのだが、彼の話し方もどこか、寺山修司を演じているようで、唯一笑う時と、好きなものを話す時(小津安二郎のカメラの位置の話など)に一瞬、素が見える気がした。そういえばタモリの寺山修司ものまねは中々出来が良いのは、寺山修司という存在が寺山修司的思想を体現した存在であるから、思想ものまね(パロディー)としてなぞりやすいからのではないかなとふと思った。
大分前の記事だが、この寺山修司盗作事件に関する記事が面白かった。
http://1000ya.isis.ne.jp/0413.html


 

at 19:02, 名無し, 日本文学

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「本当のこと」を伝えない日本の新聞

JUGEMテーマ:ノンフィクション
外国人から見た日本の報道
実用書としては、大分古く、現在の状相とは異なってしまった部分も多いかもしれないが、外国人の専門家が日本の報道に関してここまで批判的に書いた本としては希有なものでもあるので、ここに紹介しておく。
筆者はマーティン・ファクラー、ニューヨークタイムズ東京支局長(日本取材経験12年)。2012年に書かれたもので、主に3.11の際の日本の報道に対する批判を中心に、日本メディアの報道の問題点を指摘したものだ。かなり日本での取材経験も長いので、アメリカ人である筆者が母国や他の国との報道と日本の報道を比較した時に見られる、おかしな制度や弱点がかなり深い所まで描かれているように感じた。ある種、暴露本や糾弾本としての様相を呈しているようにも見える。
この本の中では、特に記者クラブに関する批判が強い。記者クラブとは、例えば政治家などが記者会見をするときはこの記者クラブに属する記者のみしか会見に参加することができないようになっている、一つの体制のようなものだ。さらに記者クラブに属するには、大手の新聞社か通信社に入社するしかほとんど道はない。この記者クラブの存在が日本メディアと政治家や権力者の癒着を強め、非常に閉鎖的な報道に日本メディアが陥っているとファクラーは語る。
このことに関しては、日本側のメディアも改善が進み、他のマイナーメディアの記者会見参加の試みも成されたが、現役の記者から聞いた話では、記者会見がスムーズに進まないことが多くなったそうだ。いわゆる記者経験の薄い素人が現場に入ってくるために、専門家からしてみればどうでも良い質問や分かり切った質問が多くなったそうだ。ここで主観的な要素の絡む「どうでも良い」という形容詞は置いておいて、碌に下調べをしない記者が記者会見に出入りして、場を乱すことで重要な問題が置き去りになってしまうことは、いくら自由な報道と言えども時間には限りがあるため、付議せねばならないことだろう。記者を免許制にするなど解決策はいくつかあるが、それもまた抜本的な改革が必要になるため、非常に煩雑な問題として未だ残っている。
また、記者クラブの問題とも関わるが、ファクラーがひときわ懸念しているのが、報道の画一化の問題だ。エリート校と呼ばれる幾つかの特定した大学から多くの似たようなバックグラウンドを持つ記者が選ばれ、同じ様なニュースを追い、同じ様な体裁の記事を書く。この様な特徴が日本の報道にはあるため、情報も画一的だ。ファクラーが被災地に赴いた際には地域によって明らかに報道される割合が偏っていた。陸前高田には大量の記者が取材を行っていたが、大槌町にはほとんど記者たちがおらずこの町に関する報道もほとんどされていないという明らかな報道格差があった。その様な画一的、語弊を恐れないで言うならば全体主義やムラ社会に近い日本のメディアが、3.11の折に浮彫になったのだと筆者は語っているのである。



 

at 15:02, 名無し, ルポ

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電脳コイル

評価:
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バンダイビジュアル
¥ 31,568
(2011-11-25)

JUGEMテーマ:アニメ感想
ハードSF×少年少女
 2007年からNHK教育で放送されたマッドハウスによるアニメーション作品。みっちり練られたハードSF作品を夕方にやったというのだから恐ろしい。それでも見飽きないのは、性格の分かり易いキャラクターたちと、丁寧な進行によって視聴者を置いてけぼりにしない物語作りが出来上がっていたからだろう。文化庁メディア芸術祭のアニメーション部門をはじめ、星雲賞などSF系の賞を受章するなど、純然たるSF系アニメとしてはかなり評価の高い作品。
 この作品で核となるのが、電脳メガネと呼ばれる、メガネ式のコンピューターだ(今現在もメガネ型スマートフォンが開発されるなど、現実に近いものであるのかもしれない)。電脳メガネをかけると、視覚情報はネット世界へとリンクし、様々な道具や電脳ペットが見れるようになる。攻殻機動隊を知っている人ならば、あの電脳をぐぐぐとメガネの形に凝縮したのが電脳メガネだと思ってくれればよい。おそらくそれに影響を受けた部分も大きいと思う。
 この作品が攻殻機動隊の二番煎じ感を感じさせないのは、おそらくその舞台が現代の町(よりは少し古い感のある)、どこか日本の町の原型にも近いような普通の町を舞台にしていることだろう。そしてそこで活躍する少年少女たちは、ただただ日が暮れるまで遊びに耽るただの子供たちなのだ。ハードSFの取っつきにくさを解消する工夫が、このキャラクター作りと舞台設定に見ることができてとても良い。
 ストーリーとしては、イリーガルと呼ばれる電脳世界に表れたバグを巡る物語だ。イサコとヤサコと相対する少女を主人公としながら、彼女らの成長を描いた王道のビルディングスロマンだ。

記事の続き(ネタバレ)
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at 02:23, 名無し, アニメ

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汚れた血

評価:
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アミューズソフトエンタテインメント
¥ 2,981
(2011-11-25)

JUGEMテーマ:洋画
血はなぜ汚れたのか
 今週末、12月20日まで早稲田松竹でやっているレオスカラックス特集の第一週目に行ってきました。この「汚れた血」を観るのは二年ぶり二度目なのですが相変わらず、素晴らしい映画だなぁと感じました。大分、フィルムの方は傷んでいたようですが。
 レオス・カラックスによるアレックスの青春三部作の二作目である本作は、SF的設定が織り込まれた、ストーリーとしては三部作の中でも最も分かり易く観やすい作品。デヴィッド・ボゥイの「モダンラブ」をBGMに主人公アレックスが夜の街を疾走するシーンが有名。愛の無いセックスによって発症するSTBOという病気がはびこる世界が舞台で主人公アレックスの父親は手先の器用さを買われ、マフィアのメンバーとして暮らしていたが、ある日列車に轢かれて死んでしまう。彼は一つの計画(分離に成功したSTBOウィルスを盗む犯罪)に関わっている最中であった。彼が居なくなっては計画が達成できずアメリカマフィアに殺されてしまう、そう恐れた計画の首謀者であるマルクは彼の息子であるアレックスを仲間に引き込み、計画を実行しようとする。しかし、そこでアレックスはマルクの愛人であるアンナに恋をしてしまい・・・。
 アンナ役であるジュリエット・ビノシュは、作中では30歳という設定だが、実は当時まだ20代前半。どうにも意地の悪い、年齢設定である。「疾走する愛」と、テーマ付されるこの作品は、非常に肉感的で衝動的な現代の愛を描いている。



記事の続き(ネタバレ)
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at 01:27, 名無し, 恋愛

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ワーキングプア 解決への道

評価:
NHKスペシャル『ワーキングプア』取材班
ポプラ社
¥ 609
(2010-02-05)

JUGEMテーマ:ノンフィクション
 資本主義の行く末
 「ワーキングプア」とはご存じの通り、働いても働いても貧困状態から抜け出せない貧困層の事だ。ちょうど先日の参議院選挙において話題になった「ブラック企業」の問題とも切っては切り離せない問題で、もうここ何年も解決されていない。そこでもう何年も前の本を取り出し「解決への道」とはまた皮肉だろうが、ワーキングプアは一朝一夕で解決する問題ではないというのをまた強く示している。
 この本はNHKスペシャルで放送された番組の関連で、新たに取材された韓国、アメリカ、イギリスのワーキングプアの問題を鑑みながら、解決への方法論を模索した本だ。海外における労働問題の現状は、日本の将来像とも言えるもので、各国でどのような問題が起こり、どのように解決されようとしているのか、あるいはしていないのかじっくりと考えながら読むことができる。
 韓国では、想像していたものより深刻化していたワーキングプアの実態が語られる。「考試院」と呼ばれる日本でいうネットカフェの様な自習室では、非正規雇用の若者が寝泊まりしていた。大学を出てもほとんどの人が非正規雇用の職を転々としている現状、また、30代、40代の正社員たちが人件費削減のため解雇され、賃金の低い非正規雇用として働かざるおえない状況まで追い込まれ、自殺者も増加するという有様だった。アメリカでは、ホワイトカラー層のワーキングプアが増加していた。低賃金の外国の労働者に仕事が流れたためだ。彼らは駐車場の壊れたキャンピングカーで寝泊まりしていた。イギリスでは、貧困の家庭から生まれる貧困の子供たちによる非行が社会問題と化していた。
 日本を含めたこれらの国々における共通点、世界的なトレンドとしての社会構造は、畢竟、新自由主義による市場原理主義だ。「市場」における自由こそが最も大事なものである、政府は市場における経済活動を妨げてはならないという様な考えのもとに行われる(言ってしまえば)資本主義を中心にして社会が成り立つ資本家万歳の仕組みだ。この市場原理主義の仕組みは重なる資本競争の連鎖によって積み重ねられたバベルの塔だ。今、まさに規模の高さの極限を迎え、ばらばらに崩壊しようとしている。この資本主義の断続する競争の犠牲者たちがワーキングプアの人々とも言える。彼らは資本主義の競争原理から外れ、塔の建築には不必要な資材となったのだ。今、世界は安くて優秀な資材を求めている。他に負けないためには、高くて使いにくい資材(正社員)よりも安くて使いやすい資材(非正規雇用者)の方が良いに決まっている。その様に捨てられていく資材があるのだから、ワーキングプアがこうした国々で現れ始めたのは至極当然の事だ。これら資本競争の過熱化と同時に、グローバル化による低賃金雇用の利便性が上がった事が、これらの問題の根底にある。
 


 記事の続き(解決編)

 
 
 
  
 
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at 03:36, 名無し, 労働問題

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生きてるものはいないのか

評価:
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アミューズソフトエンタテインメント
¥ 3,243
(2012-09-21)

JUGEMテーマ:邦画
 不条理を楽しむ
 「これは暴動の映画ではない。映画の暴動だ」のキャッチコピーで有名な「爆裂都市」を撮った監督、石井岳龍による2012年公開の映画。岸田國士賞も取った前田司郎作の同名の戯曲が原作。音楽はtoddle(ex.Number girlの田淵ひさこ)が担当。エモーションでキャッチーな音楽は感情の出にくい登場人物たちの心情を補完している様にも聴こえる。
 舞台は大学。病院が隣接しており登場人物としては、都市伝説サークルの学生、結婚式の準備をする学生、結婚寸前でまさかの浮気&妊娠発覚の修羅場中の男女、大学病院の医者の人、女医さん、女医さんを訪ねてきたお兄さん、病院の患者、病院の喫茶店の店員、お母さん、ジャニーズっぽいアイドルの人、どこぞの魚好きのお兄さんたち等が入れ替わり立ち代わり出てくる。主演の染谷将太は店員さんで、学生役は実際の学生が演じているものもある。女医さんが前田敦子に似ている、演技それなりにできるのなと思ったら、似ている事で有名な違う人だった。これらの個性豊かな登場人物たちと、大学という都市から断絶した舞台設定で起こるのは、絶望的なパンデミックだ。大学近くで列車事故が起こったというニュースをきっかけに世界の様子は一変する。登場人物たちは突然の謎の発作に襲われ、ばたりばたりと倒れ、死んでいく。そんな中で都市伝説サークルの面々は、大学病院内に米軍の実験施設があるとのうわさを思い出し、病院の地下三階を目指す。
 会話が面白いのでするりするりと観る事ができた。
 


 記事の続き(ネタバレ注意)

 
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at 02:07, 名無し, 演劇

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選挙

評価:
山内和彦
紀伊國屋書店
¥ 2,389
(2007-12-22)

JUGEMテーマ:ノンフィクション
思っていたより体育会系な
 前、紹介した想田和弘による2007年発表のドキュメンタリー映画。「チチカット・フォーリーズ」などを制作したフレデリック・ワイズマンの手法、観察映画(ナレーションや音楽を一切付けないドキュメンタリーの手法)を活用した作品。「観察映画」は、ナレーションや音楽を付けることによって撮影者側の主観的な思考を視聴者側に強く植え付けてしまう事を否とし、映像のみを使う事でより「真実」に近づけようとするものである(それでも、映像の取捨選択、撮影する側の主観的判断は避けられないものであり絶対的真実などあり得ないのであるが。詳しくは「演劇VS映画」で・・・)。ちなみに現在、新作「選挙2」も上映されている。
 レーションや音楽を排したことによるデメリットがあるとすれば、映像的な娯楽面や簡易さが失われる事だろう。言うなれば、敷居が高くなる。元来、視聴する側にある種の教養的好奇心を要するドキュメンタリーというジャンルに更に娯楽的な要素を除いてしまうのだがら、面白さを映像に求める人はまず観ないであろう。要はマイケル・ムーアと真逆のカタチだ。しかし、だからと言ってこの作品自体がつまらないという訳ではない。単に敷居が高くなったという印象があるだけであり、このポップなポスターからも分かる通り、内容自体は「面白い」ものだと思う。「面白さ」と「真実性」は決して天秤にかけられたものでは無く、内容という器に同居しているものなのだ。このあっけらかんとしたポスターは敷居を下げるという意味で良い効果をしていると思う。
 挙と名のつく通り選挙の裏側を探ったドキュメンタリーだ。2005年9月。郵政選挙で圧倒的大勝をした自民党。小泉政治、順風満帆とも言える時だ。本作の主役、山内和彦は神奈川県川崎市の市議会議会の補欠選挙に自民党公認候補として名乗りを上げた。政治経験なし、川崎市に縁もゆかりもない山内氏は右も左も分からない状況の中、「手厚い」自民党党員、各議員、その講演会の方々のバックアップを受け、声を枯らし、汗まみれになりながら選挙戦を戦っていく。
 
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at 01:32, 名無し, ドキュメンタリー

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